February 17, 2007

レストランの見分け方

おいしいレストランの見分け方を考えてみました。
その基本的なところで私が感じること“日本では上か下しかない”ということがあると思います。中堅は除外して考える必要があります。国際的な基準を誇る三ツ星にランクされるような店かオーナーシェフが厨房に立つような小さな一軒のレストラン。どちらかしかないということです。それだけ聞くと乱暴で、私のところはその下ですから傲慢に聞こえることと思います。
内容をお話しします。その考え方は日本では今のところ伝統文化が廃れ機能していないということに基づいています。レベルの高い老舗のホテルや長く成り立っている良いレストラン、洗練された顧客、ヨーロッパのレストランを基準に考えるようなお客さんを常に迎える現場では、その欧州的な基準伝統が当たり前に用いられています。作り手、技術者を大切する伝統、そういったレストランでは、シェフが経営に参加したり、厚遇されているものです。
つまり実際に技術があり、その体系を確立している人に権限を与えるということです。ここが肝心なことです。上と下はこれが実践されています。中堅には日本ではよほどのことがない限りはそれを期待できません。それを可能にする文化風潮が整っていないということです。あるシェフが数軒を切り盛りする場合、またチェーン展開する企業がシェフを雇い運営する場面でもそうでしょう、もちろん技術的な側面や自分の店か否かというモチベーションの違いもありますが、それ以前基本的な部分での難しさを現在の日本の環境では乗り越えることができない。
レストランは元々食を基軸に置きそこから派生するものを楽しんでもらう一つの文化です、その食を発想する大元の人間がその店の成り立ちから意思決定に加わり作り上げていくのは当然のことと思います。
しかし日本ではそこが全く廃れてしまっています。今代わりにそこにあるのはアメリカ的な、虚飾や表面的な価値、合理性を重視する傾向、これは他の産業でそれを成り立たせるために用いられる手法です。この業界ではそのようなものはやがて淘汰され無くなるのでしょうが、現状確かにあるものです。実際に技術を持ちその体系を構築しようとする人に権限が与えられていない。器だけが先走り、乗せるべき中身が置き去りにされている。方向性を欠いた妙な空間、一見価値がありそうですが、居心地が悪い、器(総合的にプロデュースされたもの)と出し物(料理)の整合性がない。誰もが肌で感じることと思います。当たり前の穏やかな伝統文化に照らし合わせ、選択し、運営すれば解決することなのですが、そこには質から離れたやり方で安易に権限を確保しようとする、これもアメリカ的な構造がありますから、難しい、社会的な淘汰が進めばやがてこれは整備されることなのかもしれませんが、現実にどういうことが起きているのかといえばそれは技術、価値の流失、実力のある人は独立を目指すでしょう。そうする事でしか当たり前の自分達の形を体現することができない。それをせずに成功するのはとても稀なことです。それを理解する土壌が現在の日本にはない。相当に優れたビジネスマンの方にもこのことは理解できない、伝統ということに深くかかわるレストランという特殊な環境に、相反する性質があるのでしょう。
質を重視する、穏やかな、価値を基準に置いた堅実な受け皿が整備されるまでそれは続くでしょう。それが理解され確立されるまでは日本では本来のレストランということではビジネスが成り立たないということです。機は熟していない、それは哲学でなく現実の選択です。現実には様々な要素が絡み合って混沌とし分かり辛いのですが。本来最もボリュームを持ってあるべき中堅と言えるレストランがどれだけ利益を上げ支持を伸ばしているのでしょうか?数字を示せる方に是非反論していただきたい。
高くて有名な店を選ぶか、オーナーシェフがフライパンを振っている様な店を選ぶべきです。私にはコストパフォーマンスという基準がありますから下しか選択肢はありませんが。


02:13:22 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks