March 30, 2007

生産消費者?

「生産消費者」アルビントフラーの造語です。情報の共有や価値観の多様化から生まれる新しい消費形態のことを言うそうです。トフラーが言うところの第一の変革以前と同じ形態が第三の変革の過渡期である現在に生まれている。消費形態というと語弊があるかもしれません、消費者という概念そのものがない自給自足の時代の形態、もちろん言葉の意味そのままということではありません。それは広義に、市場に消費を委ねない“ある形態”ということです。ある形態と言わなければいけないのは、それが現在も進行中で様々の可能性があるからです。例えば住む家を自分で建ててしまったり、そのレストランで提供する野菜を自ら栽培する、従来の産業の概念の枠を超えてある消費形態、消費というと受け手を表している言葉、意味ですが、この生産消費者という概念の根幹は受身でなく発露、個性の表現であり提案なわけです。
ここに現在進行しつつある時代の変遷を見ることができます。
そもそも前時代の産業構造を言う時には、量を基準に考えるのが当然のことのようです。たくさん作れてコストが安いのが良いこと、個性は産業構造の色々な段階場面で効率を悪くするマイナス要素である。流行?人と同じものを身につけるという行為が消費者の動向の根幹にある。産業革命と言われてから今までに至る価値観、乱暴ですがこのようなものです。このようなことをインフラとして捉えて現在あるのは個性の発露、質の追求、前時代に失われた暮らし、文化の再構築、課題は山積みです。

生産消費者の概念に最も近い職業と問われればそれは飲食業、レストラン業と私に断言させてください。
料理人が個性を発揮して認められていく過程で、どこまで自分達で作ることができるかということがあります。自ら作るということに価値を置く業種ですから。
それはもう大変です。業界間に渡るというよりも、思い立ったことを実現するために利用する、分野を作ると言ってもいいかもしれません。昨日まで農家で草むしりにいそしんでいたかと思うと、次の日はワイン生産者の情感に触れ、求人というととても面白い担当者と明日を語り、今日は真空包装機のオイル交換作業に追われていたりする。まぁ今は春のメニューの考案でしょう。
悪しき経済原則を基本にした大手チェーン店に明日はありません。
誰もが分かっていることと思います。質ということを言い出せばそれは個人個性が問われる、全ての人が立ち戻り考える、続く・・・


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March 28, 2007

ラ・フレッチャ

とても不思議に思っています。
今飲食業界が抱える最大の問題は求人雇用と言い切ることができます。日本が現在直面している文化的な背景があり、長年の飲食業経営者の質の低さがあって、故に今当然の報いを受けているのだと思います。それに加え本来大切であるはずの食という職業に関しての認知度の低さ、求人誌の担当者の方(この方がまた面白い方で今度この方を記事にしたいぐらいです)が言うには大変稀なこと、この方に今まで2度お世話になっているのですが、当店に対しての求職者のアクセス率の高さは驚異的だそうです。そう言えば近くで同じような商売をされている方の店では昨年求人に100万円以上の費用を掛けたもののついに応募がなく規模の縮小を余儀なくされる。これが今この業界の現状だと思います。規模の小さな経営では死活問題です。ラ・フレッチャでは昨年一回と今年になって一回、求人募集しましたが2度ともいいタイミングで応募をいただきました、今回は特に大変危うい状況でした。現在この業種は過渡期にあるようです、大変切迫した状況で、このような状況ではやはり大手の資金力のある企業が一歩先んじてより高い訴求力を発揮し、とても個人経営では太刀打ちできるものではありません。飲食店経営者には大変過酷な局面です。おそらく多くの個人経営者が廃業に追い込まれているのではないかと察します。その競争の激しさ故に人件費は高騰し、求人誌は飲食業のニーズに応えるために電話帳のようなボリュームの紙面を発行し続けています。
そのような危機的な状況です。なぜあのような方から応募がきたのか?そもそもそのような方が求職されていること自体が稀なことです。その確率は?私の想像の及ぶ範囲ではそれは寒気がするぐらい低い、有り得ないことです。
開業3周年を迎え現在ラ・フレッチャは最大のパフォーマンスを得て、本領を発揮しようとしています。
4年目となる今年のテーマはやはり安全な食、地元という概念、地域の復興、としたいと思います。4年目のラ・フレッチャにご期待ください!


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March 21, 2007

医食同源の例え

病院が体を癒す場所であるように、レストランは人の心を癒し活力を与える場所である。と言ってしまいましょう。レストランの接客を担当する方には料理やワインの知識も大切ですが精神医療の基礎を学び理解することが役に立ちそうです。様々なお客様を誤解せずに対応できる知識を得て接客の基礎を作るためです。精神医療はその性質上大変難しい分野と広く認識されています。精神医療の難しさはその事実が直接その人の評判に関わるものであることや、症状の多様性は格段で病気そのものを理解することの難しさが上げられます。とても誤解されることの多い病気、障害です。
PTSDはご存知でしょうか?災害の際などでよく話題に上る心的外傷後ストレス症候群というやつです。事故や災害の辛い経験が人の精神に障害を及ぼしその後にも後遺症のように影響を与え続けるというものです。最近の研究では脳そのものが萎縮してしまうという例が報告される、深刻な、そういう状況に置かれれば誰にでも起こりうる障害と言えるでしょう。それではBPDはどうでしょう?
境界性人格障害、近頃たまにその活字を目にするようになった精神医療の一分野です。多種多様な研究がなされ、現在それが統合されつつある段階の比較的新しい治療上の分類ですが。幼少期、成長期の辛い体験やストレスが原因で起きる、主にコミュニケーション行為の内容に関してのことで人格的な成熟が妨げられる統合的な障害、人格障害とするには程度が広範に捉えられていて、その名称自体が治療の邪魔になる場面があるほどです。いくつか症状が当てはまるからと言って人格障害とするのには無理があります。その症状として上げられることはあまりにも広範で誤解を招き易いことですから、それは是非専門書で確かめていただきたいのですが、そのコミュニケーション行為の内容に関する症状以外に上げられる、同時に、これはPTSDでも言われることですが、脳内物質の一つセロトニンが減少することが上げられます。こうしたことから同時に薬物による治療の可能性が模索され始めたところです。しかし基本はカウンセリングによる対話での治療、精神分析療法が多種に研究、臨床されています。
子供の頃の辛い経験など一つ二つ誰にでもあるものですし、それが原因で苦手なものや分野ができてしまう、非常にそれは身近なことです、そういうことに全く影響されていない人を見つけることの方が難しいほどですが、それは程度問題であまりに影響が大きく自身の努力では抜け出せないほど深刻なダメージのある場合がBPDと診断されるわけです。太宰治、尾崎豊、ダイアナ妃はBPDだったと言われています。
問題に気付かれて、治療に訪れBPDと診断された方達の中で最後まで治療を継続し完治するのは全体の1割程度、自殺されてしまう方も同じ程度1割くらいいらっしゃるそうです。
BPDの治療には周囲の助力が不可欠です。その場合周囲の方の心得として持つべきなのは、BPDの方から言われた言葉は、個人攻撃と取る必要はないということを理解することだと言われています。BPDの方達は現実と空想の区別がつきにくく、目の前の人間に対して発している言葉でも、他の誰かを空想しつつ言っている可能性があるからだそうです。
イギリスのあるBPD研究者が周囲の協力者に向けたアドバイスに
「大地のように、水のように、患者さんに接し、地のごとく支え、水のごとく浮かべ、患者さんの激しい行動に耐えていると、いつしか患者さんは新しい出発点に立つかも知れない、そうはならないかもしれないが少なくとも害はない」
まるで親になる心得や、持つべき理想的な寛容さを言われているようなものです。結局その人が子供時代に得ることのできなかった安心を改めて与えるということなのでしょう。このような医療の質、難しさが覗われます、治そうとする側の寛容さが試される、実際精神医療を目指された方の中にも、このBPD治療の難しさに自信を失い止めてしまわれる方もいるそうです。
過去に虐待の影響やその治療の骨子を研究した本を読んだことがありました、「心の殺人」というそのセンセーショナルな命名から、つい取り上げて読んでしまったのですが、おそらくBPD研究の先駆ではなかったかと思います、当時その概念さえまとめられていなかった段階では画期的なものだったと思います。暴力の連鎖、ある種の人格障害や神経症は過去、幼児期の、程度が様々でも虐待されたということにある、という推論から組み立てられたその本は、同じ頃に反社会性人格障害を様々に取り上げて書かれた本と比べて対照的な癒される内容だったのが記憶にあります。
BPDの特徴はその頻度にあります。そう診断される確立は人口の2%と言われています。その性質上、程度の差で人格障害とまでは言えないがその傾向があるとされる方まで含めるとそれは相当の割合であるわけで、それは現実です。
それを考えずして接客業は成り立たないと言えるほどです。
例えばお客様からちょっと的の外れたクレームを受けたり、現実と差のある要求がされたとしても、それはその方が他の店舗で実際に受けた体験やその方の過去の体験から誤解をされている場合があると、理解する下地がなければ粘り強い対応はできないものです。お客様の怒りに際して、客観的に当たり前の対応を心掛けることも大切ですが、常識の枠を超える場合があることも理解して、なるべく事前に察知して、起きてしまった場合も理不尽さに対抗するようなことはせず、粘り強く穏やかにご説明することができるよう、普段から意識して対応を考えておくことも必要です。
またそのような度量を持つために、自分自身を客観的に捉えるトレーニングをする、違う状況や逆の立場を体験して益々客観的に自分達を考察しておく必要があります。意義ある人生を送るためのトレーニングのような、接客業とは奥の深い、しかもとてもためになるものであるようです。
近頃のデータによると日本の対人口における自殺者の割合は全世界で10位だそうです。先進国の中ではダントツ一位です。このようなことが起きるには当然その背景があるわけで、よく考える必要があります。

03:04:44 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

March 04, 2007

舌の肥えたお客様

ラ・フレッチャの料金は同じ程度の料理を出す流行のイタリア料理店さんより少し安いのですが、ちまたに溢れている、もどきのチェーン店さんと比べると少し高い1〜2割くらいでしょうか、それがハードルになっているのか頻繁に利用していただくお客様は皆さん舌が肥えています。舌が肥えていると言うとなにそれ?と子供に突っ込まれそうですが、舌が脂肪で膨れているのではなく、味がわかるということです。食を楽しむということに慣れていて食べ物の良し悪しがわかる見識を持っている。地域を大切に考え仕事をしていると様々な人達に関わり、事情を伝え聞き知ることになります。
皆さんそれぞれの世界に長けそれぞれに成功を収めている、建築、IT、音楽、デザイン、医療、・・・本当に私の方が皆さんのところへ伺いたいくらい素晴しく興味深いのですが、認めていただく何があるのか?
同じ程度の仕事をしている高級な料理屋さんより少し安くできるのは、食材を無駄にしない努力を多くしていることと、食材を選ぶ際にコストパフォーマンスに重く基準を置いているというこの2点です。
ラ・フレッチャでは食材の価値全てを引き出すような扱い方を心がけています。
もどきのチェーン店さんと比べて少し高いのは、素材の良さを引き出し、生かすことを無視した作り置きをしないことと、安易なアイデア料理をイタリア料理としてメニューに載せないこと、これも2点です。
開店3周年を来月に迎える今、ほとんど全てが順調で怖いほどです。
開業して良かったとしみじみ思います、多くの方の応援、協力に感謝しています。
レストラン業、食の世界は医食同源の言葉通り、医療に近い性質を持っています。アジア、西欧に共通の概念がここにあって大変興味深い。そこにプライドを持てば携わる方皆さんが無限の可能性を手にすることが可能です。
現在日本では戦後の不幸な成り行きから、本来の文化が機能せず暗中模索の状態今が最低、創成期と心得てください。
現在、地域は閉塞感に溢れて、近隣に楽しみのない、地元が自慢できる質を持ち得ていない、地元という概念さえ消えかかっているかもしれない末期的な状況です。イタリアや西欧諸国ではそのような地元の連帯感や地域の質の高さは当たり前のことです。どこが違うのかは意見の分かれるところですが、私はそれが過度な合理主義に偏向していないかどうかの差だと考えています。
現在失われている「人を支える地域の仕組み」を取り戻すことはビジネスチャンスになると私は考えています。
一昨年から入ってくれたスタッフはとても心強い、私の挑戦を支えてくれる頼もしい仲間です。
成功する人に常に有る事は独創性です。その価値に気付き協力してくれることも然り
新しいスタンダードを構築する気の遠くなる作業。
開業し3年を経過して実感しました、開業費は総費用で1000万以下、賃貸料坪単価1万円以下、近年日本で台頭している合理主義(ネオリベでしょう)では説明のつかないことを肌に感じています。何かしようと志せば人の助けが欠かせません。


01:54:25 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks