April 27, 2007

一人屋台

何か電気製品のようなものを生産する工場ではかつて流れ作業のようなやり方、一人がする作業を特化してできるだけ単純化することによって作業の効率が上がると考えられてきました。しかし近年精密機械を生産する工場などでそのような考え方を否定するやり方が取上げられています。一人屋台とそれは呼ばれているそうですが、つまり一つの製品、部品を作り上げる行程を一人でこなす、職人という言葉の連想されるやり方です。流れ作業というのは面白みがない、そこでは人間は機械の一部でしかないわけです。生産の現場においても個人の技量やアイデアを生かすことが当たり前になりつつある。ホワイトカラーブルーカラーという垣根は意味のないものになりつつあります。以前、流れ作業こそ効率がいいと20年程前にはどこかの大学で教えていたそうで鼻高々に流れ作業を勧める話を聞かされたことがあります。
今ではそのホワイトカラーも法制で切り捨てられる皮肉な局面、時代は変わりつつあります。
ラ・フレッチャのような小さい店ではそのような不自然さの居場所は元々ありません。それぞれの役割を精一杯こなして、手が空けば私も当然洗い物をしますし、全ての人がレジのお金に触れて何の問題も起きません。そこには日々仕事をこなしていくダイナミックさがあるだけで、素朴な楽しさがあります。
そんなことが当たり前な社会がいいと思うのですが・・・


01:41:34 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

April 15, 2007

牛の話

ラ・フレッチャで使っている仔牛は、ニュージーランド産の乳飲み牛ボビーヴィールのスネ肉、とオーストラリア産のスタークヴィールのロース肉です。乳飲み牛の方はまだ牧草を食べる前の肉ですから白っぽく、オーストラリア産の方はある程度成長したもので牧草を食べていますから肉の色も赤めです。これが生産者によっては、ある程度成長したものであるにも拘わらず白っぽい場合があります。仔牛のうちに殺して食べてしまうわけですから元々可哀そうなのですが、その上肉質を白くするために狭いところに閉じ込めて代用乳のようなものを与えて育てるそうです。牧草に含まれる鉄分が肉質を赤くする栄養素なのでこれを含まないものを与えるわけですが、もういい加減体も大きくなっていますから、貧血になってしまうわけです。これが結構可哀そうなそうで、確かに仔牛肉の醍醐味は鶏肉のような淡白さで白い方がそれらしいようですが、そんな不自然な飼育の仕方で健康に育った肉と言えるのか、元々殺して食べているのは事実です、動物愛護という話になってしまうと私達まで困ってしまいますが、人間のちょっとした嗜好のために、ここまでするのはやり過ぎではないかと思います。これは使わないようにしようと微力ながら考えて選んでいます。自然に放牧して育てられた牛の方が安心ですよね。
仔牛はカナダなどからも多く輸入されていますが、やはりBSEが心配です。カナダでは野生の鹿などにもBSEが頻繁に発生していたそうです。やはり感染経路さえ未だに未解明な病気ですから牛肉も疑った方がいいと思います。そういった感染源から遠く海を隔てたオーストラリア、ニュージーランドなどの清浄国からの畜産品が安心です。清浄国はそれに近い病気さえ起きていない別世界です、弧発性と言われ遺伝が原因とされているスポンジ状脳症は人間の場合10万人に一人の頻度で発生するそうですが、清浄国の家畜にはその程度のスポンジ状脳症も起きていないそうです。
アメリカでは未だにそのような問題にはキリがないようで、ズサンな処理を行う加工業者がついこの間も問題になりました、ご承知のように日本との輸入協定に月齢20ヶ月以下で処理した牛肉に限定するという条項があり、証明書を付ける義務があります。
今回は輸入したものの中にこの証明書を付けていないものが混ざっていたそうです。その発表を受けてアメリカ農水大臣は「小さな問題」と取り合っていません。トップの方がこのように言うぐらいですから、全ての段階で半ば公然と不適切なことが行われているのは明らかでしょう。アメリカでは畜産関係のロビイストどころか政府行政の中枢に関係者が入り込んでいるという話があるほどです。数年前にワシントン州のある町でクロイツフェルトヤコブ病が、自然に発生する頻度を遥かに超える人数で特定の地域に集中して、発生していたことが明らかになったことがあります。遺族の方が不信をいだいて調べるうちに、同じ時期同じような病状で亡くなられた方が多数いるという事実を突き止め告発したものの取り合ってもらえず、僅かに地方紙が記事にしただけで、政府の公式の見解はBSE由来のクロイツフェルトヤコブ病ではないということでした。
ありえないほどの頻度、集中して発生した理由には一切触れられていません。それで済んでしまう、恐い国です。
日本の小売店ではアメリカ産牛肉は駆逐された観があります、日本の消費者やるじゃないかと私は喜んでいます。懸念されるのは、その分産地表示しなくて済む調理品や加工品に流れる可能性です、ハンバーガー、牛丼はもちろん、惣菜の肉団子、カレーのルー、日本で近年発生したBSEは代用乳に含まれた油脂が感染源であることが濃厚だそうです。可能性のあるものが一切含まれていないことが大切です。充分ご注意ください。自己責任と言うならその責任が果たせるように、情報を開示させる義務を課すべきなのに、それさえもしていない。去年の小泉首相の「疑うなら食べなければいい」という発言から私の疑いは広がっていきました。アメリカも日本も政府行政の姿勢は明らかに間違っています。
民間の方が明らかに健全で、カレーのルーも牛肉由来の成分を一切含んでいませんという表示があったり、牛丼もオーストラリア産を謳って販売しているチェーン店もあります。
韓国では一度輸入を認めたものの、世論を反映してアメリカ農務省とタフなやり取りが続けられています。なぜ日本ではそれができないのか?
ラ・フレッチャでは牛肉はオーストラリア、ニュージーランド清浄国2カ国からの輸入品に限定して使用しています。輸入業者さんも産地とパイプの太い良心的な会社です。どうぞご安心ください。






00:10:24 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

April 11, 2007

私達が向うところ・続き

「お金に目がくらんで」というと言い方が悪いですが、対価にばかり注目していると、見逃してしまうことがたくさんあります。実際の価値に比べてあまりにも軽視されていることがあります。私達の業界で言えばサーヴィスに関することが、その最たることでしょう。レストランではサーヴィスが最も大切な要素です。私達料理人にとっては料理が一番大切ですが、レストランとして見た時にそれは一つの要素に過ぎません。実に様々な人達がいて、その方達にその店の個性的な出し物を楽しんでもらうわけです。コーディネイトすること自体から難しいことをさらに、和み堪能していただいて、気持ちよく元気になって帰っていただく。その行為自体がレストラン業です。サーヴィスはその最前線で最も影響力があります。
なぜそれほど大切なはずの職業の重要性が認識されていないか?不思議です。日本の文化には欠落した部分があります。経済に偏向して文化を置き去りした一連の政策やアメリカ的な合理主義の影響でしょう。ヨーロッパではレストランのサーヴィスは大切な職業であると当然に認識されています。レストラン自体よりもサーヴィスする人に注目が集まることがあるそうです。その人がお店を変えればお客様もそのまま移動してしまう「彼がサーヴィスを指揮する店は美味いに決まっている」と。
アメリカでボーイ(給仕人)と呼ぶようにフランスでギャルソンと呼ぶと失礼にあたります。ムッシュと呼ぶのが当たり前で、当然ですが彼らはその仕事に誇りを持っています。
文化を大切にする国ではこのような共通の認識があります。日本でも和食ならおかみさん、仲居さん、仲居頭は料理長と同等の権限で給仕の全てを取り仕切る店の要です。しかしこれが洋食になると急に事情が変わってしまう。
レストランのサーヴィスは実に様々な能力が要求される仕事です。店がテーマとすることの専門的な知識はもちろんですが、ハードに関すること、空間のプロデュースと言っていいと思います。それこそ掃除を始めに客席、お客様の環境五感を網羅してコーディネイトする、それに加えて最も難しいことが、対人に関しての精神性、精神的に成熟した人だけが持ちうる奥行き、明かに有能な給仕人の方は人間としてレベルが高いということです。それなのに社会的な評価は低い、日本のレストランのレベルが今一つ上がって行かない最大の原因がここにあります。その価値なりの評価をする見識習慣が実際に社会に育っていない。
このような本来あるべき認識が育っていない、社会のその部分が機能していないということです。まずレストランの機能は何か、ということからその話は始まります。これは社会的に自然な淘汰が起きて改善されていくにはあまりに大きくズレがあり、土壌が整っていない。その間に良い人材、大切なノウハウはどんどん失われてしまいます。
日本における洋のレストランビジネスは大変なボリュームです。ここが少しでも変わっていけば社会に与える影響は大きいと思います。
ラ・フレッチャにできることは、まずはこの方向で店を作り上げ、成功させてその理由を関る人皆さんにわかっていただくことだと思います。モデルというとおこがましい限りですが、私も自分が利用する際にはここのような方向性を持ったお店がいいなと思います。値段のつけ方や料理の程度、接客、店の質、理念根幹となるものが全てを作り、表現されるわけです。商業的なことに捉われて大切な部分を失ってはいけません。


18:24:30 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

April 04, 2007

主張

当たり前のことなのに誰も口にしないことがあります。権利を手にすれば、当然義務を果たさなければいけない。投票し候補者を選ぶことによって国政に携わることは権利です、義務ではありません。ではこの権利に付随する義務とはなんでしょうか?
それは自らが薦めうる候補者を選び投票すること、何だやっぱり投票じゃないかと?
自らが薦めうる候補者を選ぶためには情報を取り入れたり勉強しなくてはなりません。これが義務です。つまり選挙の時だけ新聞に目を通したり、テレビでメディアを通じた情報を鵜呑みにして、ただ投票してくるだけでは義務を果たしていないということです。
現在権限を担う既存の政府政党には、大変不幸なことに了解された前提があります。有権者はより知能が低く、情報に無関心なほど都合がいい。勉強したり、情報は自ら探すのが重要な義務だなどとは口が裂けても言いません。そんなことをされたら自分達の立場が危うくなってしまうというわけです。実際にB層などと言って小馬鹿にしては、そういう現実的な常識から遮断された、政府にとって都合のいい支持層を温存すべく計画し、既存のメディアを通じて操作をする。権力のあるところにはいずれ腐敗が生じるものです。

滑稽なほど日本の政治家が様々に暴言を吐いたり、おかしな歪んだ法律制度を平気で続け、さらに新設できるのはそのためです。
挙句の果てには憲法にまで手をつけようとする。
政府が教育に介入できる社会?
子供に当然教育しなければいけないことがあります、正しく投票するためには制度や法律をよく理解し、最新の情報を、操作されていない媒体から、自ら探して得ること、そうして得た見識を共有して深い考察のうえ投票することが義務であること、それは活字にならない事実です。政府は教育に介入し都合の悪い情報は教科書から削除し、国民は思い切り馬鹿にされ、虐げられ、しかし事実その通りに、今のところ多くの人は何も反応さえしません。
先の戦争もそうですが私達は単に被害者ではありません。暗い社会になってしまったと嘆いてもそうした責任の一端を自覚しなければいけません。騙されたなら今後は騙されないように考え、方法を見つけなければそれは益々拡大し深刻になるだけです。

あまり表に出ないことですが、社会から見放され孤独に死んでいく人が増えています。資本、金融市場に偏重した政策の犠牲者なのだと思います。
学歴のあるインテリジェンスの高い方が実は陥り易いトリックがここにあると思います。最近大変インテリのお客様が3人でいらっしゃって最近の政策に関して議論されていました、フライパンを振りながら大変興味深く聞き耳を立ててお話を窺っていたのですが、そのお話の中で感じたのは、もちろん私より様々に知識が深く、新たな情報をも持っていらっしゃるのはよくわかりましたが、それだけに情報、理論に捉われて質的な考察がされていない、つまり今の政府の政策は経済原則に確かに基づいて、様々な理論において正しいと主張しうるものなのでしょう、しかし飢餓で死ぬ人がいるのはなぜ?理論に偏って目の前の現実に気付かない。
理論、根本となる理屈、原則には順序があるものと思います。
現在ある大変洗練された経済理論なり政策にはその基本となる土台が当然あるわけです。餓死?その事実はその根本が揺らぐ、疑われることです。餓死?それは経済の学問でなく理科、生物学でお馴染みの「適者生存」、ついていけない人が生きていけない社会、それは違う、根本的に間違っている。落とし穴がここにあります。


01:37:12 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

April 02, 2007

生産消費者??

市場経済ということを考えてみましょう、金融市場という一つの箱があって、外からそこに決められた秩序を持って参加する、そこは一つの仮想世界で法律があり法則があり、誰もが同じ条件で関ることができて、そこで現実の利益をあげることができる。
私がこの金融市場ということを考える時にいつも思うのは、その危うさです。映画マトリックスではありませんが、その仮想世界で成長した化け物がスクリーンの内と外を行き来して影響を与えるようなことはない、ということが私達にとってのその仮想世界での大前提です。まだいかにも目立って行われる市場での争い、金融資本による企業買収TOBなどは我々が理解する範疇にありますが、そうではない一見正当に見える粛々と日々行われている取引が、実は圧倒的な情報の差でコントロールされたものだったとしたら?私達の想像を超えるような規模の資本、企業体が確かな倫理を持ってそれを扱っているということが不可欠な前提です。そういう大きな資本を持つ企業、金融資本が国家、行政に影響を与えていることは想像に難くありません。しつこいようですが、そのような圧倒的な影響力を持つ企業や金融資本が倫理を守って金融市場に参加していると思われるでしょうか?
私はしていないと思います。そのはずがない、そのために金融市場が作られたとさえ言えるほどに最初から当たり前に虚構に満ちている。そう思いませんか?
それは考えるまでも無く当然にあることと思います。要するに高い時に売って安い時に買えばいいわけですが特に規模の大きな影響、政府の金融政策や有事のタイミングに関する情報を把握できれば、それは非常に効率的な資金調達手段になってしまうわけです。一般投資家から合法的にお金を巻き上げる手段
市場、自由競争ということに重きを置いた政策は今の日本で始まったことではないそうです、過去アメリカで進められ、すでに破綻の局面を迎え、方向修正をされたもの。
それが意味するものは?市場経済の助長です。金融市場や全体の景気により重きを置く、それは明らかに破綻するものです。
破綻に加担はしたくはないです。そのためには中身のない競争に係わらず質を追求する、そういう文化モデルは欧州にあると思います。日本やアメリカドル経済圏にはなぜか市場経済に偏向した性格があります。不思議なことです。
ヨーロッパには一日の長がやはりあって、その文化にはとても学ぶものが多いと思います・・続く


02:36:00 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks