August 31, 2008

北新宿再開発完成予想図

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北新宿再開発完成予想図です、川にかかっている橋のすぐ先にラ・フレッチャがあります。

実はこのお店の周り、来店してもらえそうな範囲の面積で約4分の1程度が廃墟?ではないんですが、北新宿再開発予定地として更地になってしまっていました、開店当初すぐにも始まりそうだった高層ビルの建設をあてにして、心待ちにしていましたが、5年経った現在やっと始まったようです。
来客してもらえそうな範囲の4分の1です。そこの建設が完了すると潜在的なお客さんが面積上25%、高層ですから実質概算50%無理なく増えることになる。大変だ・・
と言うか待たせ過ぎ、店舗立ち上げの架橋はすでに過ぎた、クリアできたところです。プラスアルファ?期待しておきましょう。
飲食店経営のキモは店舗ではありません。
箱や業態よりも運営です、いかに実情に合わせた施策を打てるか、生きたアイデアを現場で発案始動できるかが採算の成否を分ける。
先日私の元上司が連絡をしてきました、またカモを見つけたようで規模の大きな立ち上げを行なったようです、詳細は不明ですが・・結果は見えています。
店舗ではない、業態でもない、運営です、マラソンのようなものです。
体力配分を考えて、トータルの質を追及すること、分からないでしょうね〜
そんなことを考えると彼は職を失いかねない、もう関係ないので気にも留めませんが。
自分達が好きで、続けられる、大切なことが重要な方向で、かつ利益を上げる可能性の高い施策です。
単純な金儲けということとは違います、地域文化への貢献であり、食やサーヴィスの探求、自己実現への実りある努力。
人が生きる姿そのものですよね。
こんなことも分からずに、人の資金を預かって、無駄にし、結局着服している。
あぁ関係ない、関係ない、忌み嫌うとはこういうことです。
2度と現れてほしくない、元凶です。
彼と仕事していた時と現在、努力している量も内容もそれほど差はありません。
しかし当時店舗は切羽詰った状況で報酬は値切られていました、しかし現在私は確かな業績を上げて、従業員に少ないながらもボーナスを支給しています。
この違いはなんなんでしょう?
今の幸運に感謝しています。


00:18:06 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

September 01, 2007

夏バテから復活!

8月は色々嬉しいことが重なりました。まずラフレッチャ初の社員として入ってもらったスタッフがこの8月で丸2年を経過して益々しっかりと取り組んでくれていて、腕を上げています。この業界の現状ははっきりと人材難ですからラフレッチャは本当に恵まれています。近くの同じような規模の店舗を構える方は年に100万円も求人に使わなければいけなかったそうです。感謝しなければいけません。
もう一つはホームページカウンターの10000超え。独立前に務めていた店舗のホームページも抜きました。開設に3年以上の差がありますからアクセスしてもらうペースは概算で3倍以上ある!嬉しいことです。

私達の業界には様々な店舗、手法があります。一見するとあまり違いは感じられないと思いますが、店舗によってその成り立ち方向性は様々です。
レストランは食文化そのものです。ビジネスの側面もあり文化を成り立たせる一つの要素でもある。イタリア料理のレストランをするということは、イタリアの食文化のモデルをしっかり踏まえて実践する、それがどのようなもので、成り立たせるための要素が何かを理解して、現実に当てはめていくという行程があって初めて実際の運営が出来るものです。
現実には日本にある飲食店の多くの店舗ではそのような形が構築されてはいません。成り立たせるための片翼を置き去りにしてビジネスに偏れば決して長続きはしません、悪ければ訳がわからぬまま客足は遠のき、ジリ貧を支えるために報われない努力を強いられる羽目になってしまいます。
質を高める努力も重要ですが、店舗のある地域を意識して、その地域に生活する人にとって豊かさが増すような存在であるよう方向を見定めることも必用です。
その辺りを理解していないとスタッフの教育さえまともにできない、それが現実です。
おそらくヨーロッパで出店するよりも日本で出店する方がノウハウ、パフォーマンスということではよほど低いレベルでそれが可能です、最初の客足も悪くはないはずです。しかしその後の運営を考えるとそれはとても危ういものだと思います。
日本でレストランというと一般の方が想像するのはアメリカ的な価値観に基づいたサーヴィス、業態ではないでしょうか?えっどこか違うのと思われる方がいるかもしれませんがヨーロッパ的なものとそれとでは全く異質なものです。
欧州的な価値感?私達が日頃見聞きするところではグローバリゼーションなることが声高に言われていますが、その対極としてヨーロッパでは常に地域の充実、暮らしにある豊かさの追求、お金に変えられない価値が確かにあって確立されている。その地域は安定しています。新しい製品が開発されるのが遅かったり、食材がそのままの形でごろごろと売られている。コンビニはないかも?
まさか日本にヨーロッパにある店舗そのものを再現しても成り立つか難しいものですが、私達がそこに近づくために現実に則してできる努力はあります。
欧州的な店作りの指針と私が思うのはまず質の追求、それを確実日常的なものとする方法論、私がそれを考える時真っ先に思いつくキーワードは「良心」です。日本人にとって良心ということは比較的身近で確かな基準であるように思います。
常に喜んでもらえるような力加減、慎重さを維持する基準は良心であるという、
非常に分かり易い正攻法でその概念をまず持ってもらう。
そこから構築される方法、姿勢、努力は一貫しています。現実に当てはめていくには継続的な努力が必要ですが、それは辛いものではありません。質=価値を創造してそれを楽しんでいただく、素材の吟味から始まって、価値が最大限引き出されるように考え、手を尽くす、皿にそれを盛り込むまでその質を意識し続けます。
第二にお客様との関係性に目を向けてみましょう。アメリカ的な方向性はと言うと、消費者という意識が少々行き過ぎて、その根幹にあります。
おそらくその体系に沿って構築された現場には正常な気持ちの交流が存在し得ない、店にとってはただお金、受ける側は心的な満足も含めた欲求の捌け口、極端かもしれませんが質的にそういうことではないでしょうか。
そこには豊かな文化の一場面を共有するという意識はかけらもありません。アメリカの文化はもう一方の側から観察するとそういう点で非常にレベルが低い。だからそこから離れることが必要です。
そもそもそういう極端な消費者意識が日本人をとても不幸にしていると私は感じています。
ファミリーレストランなるものがその極端な消費者の概念に相応しい一つの形なのでしょう。それは元々本来のレストランとはかけ離れた別のものです。地域性の不在、対お客様への関係性、出し物の性質。質を考えなければ値段は底々です。徹底して手間は省かれているようで料理をあまり待たせることはないようです。
このような飲食店がどのような体系に基づいてメニューを決めているのかは私にはわかりませんが、専門料理が専門料理たるのは突き詰めるべき体系がそこにあるからで、店舗やブランドが先にあって出し物やその体系を後から決めるというのは私達からするととても気持ちの悪いことです。
一言で表すなら顔がないということでしょうか。
飲食店の店舗というものは常にサーヴィスする側と受け手、人同士の接点になる場所です。
その店舗を利用したときに、誰がどういう方向性でその店舗を運営しているのかが見えない。利用する側も期待しない、出されたよくわからない料理を何気なく食べる、空腹を満たすだけの場所、私のイメージではそれは巨大な養鶏場に自動的に供給されるエサと言うと言い過ぎかもしれませんが、それは効率を追求することで生まれた形骸に過ぎないと思います。食を大切にしない飲食店が成り立つ私達の社会こそが問題なのかもしれません。
私達の仕事はお客様があって初めて成り立つものです。しかし今の日本では当然のように異質な概念に毒されていて、価値を理解し合えるような関係ができ辛い。本当に今現在営業できていることに感謝です、大きな利益は出ませんが生活していけるところまで漕ぎ着けました。
皆さんのお近くにもし顔のある小さな店舗があったら、是非たまに利用してあげてください。昨今の状況では小さな店舗は運営に苦しんで明るい印象はないかもしれません。文化を創っていくのは誰か?店舗はその一翼に過ぎず、主導権を握るのは利用者です。アメリカ文化にある消費者意識がなぜ悪影響なのかと言うとその主導権に値する責任が意識されていないからです。
稚拙で極端な表現をお許しください、これだけはと止まれず書いてしまいました。


00:45:11 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

June 24, 2007

シルバーシート

人はそれぞれに思い入れを持って、それぞれに周りの何かに意味を与えています。譲れない何かはあるでしょう、もちろんそれは人に強制するものではありませんが、それは個性であり、お互いに認め合うべきものです。それがどれだけ許容されるかはその社会を量る尺度になり得るでしょう、しかし同時にそれ以外のこと、個人の範疇から外れる公共のことに関しては全くそれは当たらず、そこに個性はありません、当たり前のことは当然に守り、人に迷惑をかけてはいけません。
そこにその社会の性質が如実にあらわれます。東京のマナーは最低です。地下鉄に乗っていて老人に席を譲ると感謝されます、降りるときを意識して待っていて、有難うございますと声をかけてくれます。これは悲しいことです。当たり前のことなのに、堂々と有難うと言って座り、目が合えばニコリと笑って、自然なことであってほしい。
それを体験する度に深い悲哀を感じます。そこまで自分たちの社会は廃れてしまったのか?とても悲しいです。
そんなことを言い出すのも実は今日とても嬉しいことがあったからです。常連のお客様でブログにコメントをいただいたこともあるほど、とても大切なお客様です。
じつはその方愛煙家なのですが、たまたま今日は店が混んでいて後から訪れた複数の方がまだ食事をされていました。するとその方はこちらがお願いしたわけでもないのに、わざわざ外に出て一服を、愛煙家の方にとって食後の煙草はとても楽しみなものです。私も吸っていましたからよくわかります。禁煙でもない店でわざわざ外に出て吸おうとは考えないものです。
それはその場のちょっとしたマナーでもありますし、店を大切に思ってくださることでもあります。見習った他のお客様も外に吸いに行く、禁煙ではありませんから、もちろんそんな表示はどこにもしていません。大変嬉しく思いました。本当に感謝します。
シルバーシートというものほど無駄なものはありません。当たり前のマナーを守らない人には例え、目の前に立て!と表示があっても見えることはないのでしょうから


03:07:59 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

June 15, 2007

この日本どうでしょう?

確かに今の日本はおかしい。テレビをつければ政治家が平然とあからさまな嘘を口にしているかと思えば、当然に処罰の対象になりそうな行いがうやむやに見逃され、弱者は見放され、強者はますます私腹を肥やして、道徳の欠片もそこに見ることはできません。安いだけのまがい物が蔓延り、手を尽くし生み出した価値に正当な報酬を期待することができない、決して軽くない年金の負担も受け取る前に実に色々なところへ消えるものです。いい加減な公共事業によって業者の手に渡り、それを配分した行政には天下りという収賄で利益が渡る、入力ミス、さらにはそのミスを是正するための経費。
元々日本の年金の制度には大きなトリックがあります。私達は将来のために収めるわけですが実際使われるのは?使うことが可能なのは現在です。それは銀行に預けられて運用されているわけではありません。本来なら当然に利潤を生むはずの資金がなぜか大変効率の悪い、ある意味資金を捨てるような事業に、国会の審議にかけられることもなくつぎ込まれています。私達の年金の納める負担が増えたり、受給する額が減ってしまうのはこの無駄を補うためです。社会保険庁や政府はこれをするために、そのトリックを最大限利用しているわけです。
収めた年金なる資金がすぐ給付に使われるなら、それは年金制度ではなく勤労層による老人介護制度です。
収めた年金が銀行に預けられたり堅実に運用されて、収めた本人が受給するときに始めて引き出されるというやり方が本来の年金制度の仕組みです。
両者のギャップを利用した錬金術というのが日本の年金制度の相応しい呼び方でないでしょうか?
あれれ、また脱線してしまいました、なぜ騙されてしまう人が多いのかという話がしたかったのですがそれはまたこの次です。



01:54:39 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

June 12, 2007

おっと!

私は宗教ということがよく理解できません、プロテスタントの信者の方と少し話しをさせて頂く機会があってキリスト教を少し勉強しました、その間にダヴィンチコードの公開もあってさらに興味が広がり、様々に検証した結果それが大変意味深い、奥行きのある概念であるということが分かりました。
物質、資本、経済ということに相対する、精神、道徳、観念的なことで導く公にある宗教という存在を認識することができました。
その性質は個々に人が生きるために必要なだけの限定されたものであるはずですが、実際には宗教の問題は社会や政治に直結しています。
利用しようとする人が現実にいるからです。
ほとんどの良心的な「信者」の方はそんなことは考えてもいないでしょう。気の毒に思います。
しかし基本的な責任ということはあります、政治に関することや重要な決定事項で盲目的に支持するということはしてはいけないことです。
10人に一人だそうです、考えてみてください。



02:56:10 | lafreccia | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks