September 01, 2007

夏バテから復活!

8月は色々嬉しいことが重なりました。まずラフレッチャ初の社員として入ってもらったスタッフがこの8月で丸2年を経過して益々しっかりと取り組んでくれていて、腕を上げています。この業界の現状ははっきりと人材難ですからラフレッチャは本当に恵まれています。近くの同じような規模の店舗を構える方は年に100万円も求人に使わなければいけなかったそうです。感謝しなければいけません。
もう一つはホームページカウンターの10000超え。独立前に務めていた店舗のホームページも抜きました。開設に3年以上の差がありますからアクセスしてもらうペースは概算で3倍以上ある!嬉しいことです。

私達の業界には様々な店舗、手法があります。一見するとあまり違いは感じられないと思いますが、店舗によってその成り立ち方向性は様々です。
レストランは食文化そのものです。ビジネスの側面もあり文化を成り立たせる一つの要素でもある。イタリア料理のレストランをするということは、イタリアの食文化のモデルをしっかり踏まえて実践する、それがどのようなもので、成り立たせるための要素が何かを理解して、現実に当てはめていくという行程があって初めて実際の運営が出来るものです。
現実には日本にある飲食店の多くの店舗ではそのような形が構築されてはいません。成り立たせるための片翼を置き去りにしてビジネスに偏れば決して長続きはしません、悪ければ訳がわからぬまま客足は遠のき、ジリ貧を支えるために報われない努力を強いられる羽目になってしまいます。
質を高める努力も重要ですが、店舗のある地域を意識して、その地域に生活する人にとって豊かさが増すような存在であるよう方向を見定めることも必用です。
その辺りを理解していないとスタッフの教育さえまともにできない、それが現実です。
おそらくヨーロッパで出店するよりも日本で出店する方がノウハウ、パフォーマンスということではよほど低いレベルでそれが可能です、最初の客足も悪くはないはずです。しかしその後の運営を考えるとそれはとても危ういものだと思います。
日本でレストランというと一般の方が想像するのはアメリカ的な価値観に基づいたサーヴィス、業態ではないでしょうか?えっどこか違うのと思われる方がいるかもしれませんがヨーロッパ的なものとそれとでは全く異質なものです。
欧州的な価値感?私達が日頃見聞きするところではグローバリゼーションなることが声高に言われていますが、その対極としてヨーロッパでは常に地域の充実、暮らしにある豊かさの追求、お金に変えられない価値が確かにあって確立されている。その地域は安定しています。新しい製品が開発されるのが遅かったり、食材がそのままの形でごろごろと売られている。コンビニはないかも?
まさか日本にヨーロッパにある店舗そのものを再現しても成り立つか難しいものですが、私達がそこに近づくために現実に則してできる努力はあります。
欧州的な店作りの指針と私が思うのはまず質の追求、それを確実日常的なものとする方法論、私がそれを考える時真っ先に思いつくキーワードは「良心」です。日本人にとって良心ということは比較的身近で確かな基準であるように思います。
常に喜んでもらえるような力加減、慎重さを維持する基準は良心であるという、
非常に分かり易い正攻法でその概念をまず持ってもらう。
そこから構築される方法、姿勢、努力は一貫しています。現実に当てはめていくには継続的な努力が必要ですが、それは辛いものではありません。質=価値を創造してそれを楽しんでいただく、素材の吟味から始まって、価値が最大限引き出されるように考え、手を尽くす、皿にそれを盛り込むまでその質を意識し続けます。
第二にお客様との関係性に目を向けてみましょう。アメリカ的な方向性はと言うと、消費者という意識が少々行き過ぎて、その根幹にあります。
おそらくその体系に沿って構築された現場には正常な気持ちの交流が存在し得ない、店にとってはただお金、受ける側は心的な満足も含めた欲求の捌け口、極端かもしれませんが質的にそういうことではないでしょうか。
そこには豊かな文化の一場面を共有するという意識はかけらもありません。アメリカの文化はもう一方の側から観察するとそういう点で非常にレベルが低い。だからそこから離れることが必要です。
そもそもそういう極端な消費者意識が日本人をとても不幸にしていると私は感じています。
ファミリーレストランなるものがその極端な消費者の概念に相応しい一つの形なのでしょう。それは元々本来のレストランとはかけ離れた別のものです。地域性の不在、対お客様への関係性、出し物の性質。質を考えなければ値段は底々です。徹底して手間は省かれているようで料理をあまり待たせることはないようです。
このような飲食店がどのような体系に基づいてメニューを決めているのかは私にはわかりませんが、専門料理が専門料理たるのは突き詰めるべき体系がそこにあるからで、店舗やブランドが先にあって出し物やその体系を後から決めるというのは私達からするととても気持ちの悪いことです。
一言で表すなら顔がないということでしょうか。
飲食店の店舗というものは常にサーヴィスする側と受け手、人同士の接点になる場所です。
その店舗を利用したときに、誰がどういう方向性でその店舗を運営しているのかが見えない。利用する側も期待しない、出されたよくわからない料理を何気なく食べる、空腹を満たすだけの場所、私のイメージではそれは巨大な養鶏場に自動的に供給されるエサと言うと言い過ぎかもしれませんが、それは効率を追求することで生まれた形骸に過ぎないと思います。食を大切にしない飲食店が成り立つ私達の社会こそが問題なのかもしれません。
私達の仕事はお客様があって初めて成り立つものです。しかし今の日本では当然のように異質な概念に毒されていて、価値を理解し合えるような関係ができ辛い。本当に今現在営業できていることに感謝です、大きな利益は出ませんが生活していけるところまで漕ぎ着けました。
皆さんのお近くにもし顔のある小さな店舗があったら、是非たまに利用してあげてください。昨今の状況では小さな店舗は運営に苦しんで明るい印象はないかもしれません。文化を創っていくのは誰か?店舗はその一翼に過ぎず、主導権を握るのは利用者です。アメリカ文化にある消費者意識がなぜ悪影響なのかと言うとその主導権に値する責任が意識されていないからです。
稚拙で極端な表現をお許しください、これだけはと止まれず書いてしまいました。


Posted by lafreccia at 00:45:11 | from category: 主張 | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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