September 08, 2006

裸の王様

料理人にとっても塩加減というのはとても難しいものです。
ちょうどいい塩加減は人によってそれぞれ微妙に違うものです。全ての人がおいしいと感じる塩加減は限られた非常に狭い範囲にあります。特に夏場暑い季節は人によって食欲も落ち、代謝にも関係して個人差が出るものでおいしいと感じる加減にさらに大きく差が出てしまう場合があります。そうなるともう同じ加減で全ての方に満足してもらうのは不可能になってしまいます。

日本では主食のご飯に塩分を加えずその分塩加減の強い惣菜を取り合わせ適度な塩分になるよう調整して食べるという食習慣があります。
この習慣があることによっても嗜好の差で薄味が良かったり逆だったり個人差が出てどちらかに傾いてしまう可能性があると思います。
確かに塩分の強い食品も単体でなくご飯と食べたり酒の肴として食べるとおいしく感じられるものです。
一般的に薄味は上品という概念があるようですが、さてその薄味とはなんでしょう?色々な尺度があります、色の濃い薄い、旨みの強い弱い、塩加減が薄い濃い、一般的に関西の料理は色が薄いようです。よく出汁を効かせ醤油は薄口を使い澄んだ汁がいかにも上品に見えます。ただこれが様々な研究統計によって実際に取っている塩分の量は関東も関西も言われるほど大きな差はないという結果が出ているそうです、塩分の差と思われていたのが実は見た目の濃さや調味料、出汁の使い方の差だったわけです。
塩加減は調理し作りだした味が食べた人に好ましく伝わるかどうかという考え方をすると分かり易い、塩は過程において味を作ることにも関係していますが、最終段階で確実に調整しておかなければいけないものでもあるわけです。
食習慣や体調などで個々人固有の適当な塩分濃度は浸透圧が関与しているかのように感覚器官の感覚の領域で快、不快が分けられるものと私は理解しています。
調味料は閾値以下で使うもので塩に関しても同じ、閾値を越えた分、塩そのものの味が不快さの元になります。塩水は不味いですよね、何の旨みもない水なら閾値も0で塩分を加えずに飲むのがおいしい、閾値に達する前の塩はその食材の旨みを引き出すために使われる塩でこの旨みが強ければその分より多くの塩が必要になります。
ここで注意すべきことは旨みの特に強い食材の場合その全てを引き出す必要もないということでしょうか、これも個人差のあることですがその旨みの強さ自体に味覚が疲れてしまうということもあります。これは調理する側としては分かり辛くなりますから分けて考えた方がいいことです。ある程度の上限を設けてそこまでは旨みに合わせて塩をしてそれ以上は控えるというやり方です。その調理の場面、強調したい食材によってこの限りでない場合もあります。毎日注意して加減していればいずれこの感覚はついてきます。旨みと関係なく塩自体の量を感じられることと、旨みを引き出すだけの塩の量、旨みを最大限引き出す量、を捉えて自分のものにすることです。
地域差よりも個人差が調理人である私達にとっては深刻なことです。
埋めようのない差を補うにはどうするか、基本的に体調を保ち感覚を磨くことが作る側の努力として重要ですが、現実の場面であらかじめ食べる方の加減がわかっていればそのように作り、そうでない場合(全ての人にとって自分の感覚は「普通」です。お尋ねしても分らないのが普通です。)予想できる範囲でどちらかに合わせるしかなく、一度つけたものは減らすことはできませんから薄い加減に合わせるのが必然です、濃い加減の方には塩を用意して申し訳なくも自分で加減していただく。
これは必要なことと思います、中には「それは調理人として怠慢でありしっかり加減をしてだして当たり前塩など客席に用意してはいけない」という考え方をする料理人さんもいます。しかしその感覚自体が人によって違うわけですからそれがわからない以上できるだけ適度な加減をしてあとは塩を用意するしかないわけです。
現実には上級な店にいくほど塩は用意されていません、それならばお客さんの塩加減を知る努力があってしかるべきと思うのですが、そういう話は特に洋食の上級の店ではあまりされているのは見掛けません。和食の職人さんはお客さんの飲み物の飲み方を観察したり、外見や人となりから察して微妙に塩加減を変えるそうです。
洋食で聞くのは逆に、お客さんから塩辛いと言われたシェフが言うに事欠いて飲みものを飲む前提で作った料理だからワインを飲みつつ食べて丁度いいもの、飲み物を飲まずに食べれば塩辛くて当たり前とお客さんに言ったとか言わないとか。何と傲慢で愚かな自慢話でしょう。私が保証します。本当にあったことと仮定して、まずお客さんがワインを飲んでいないのは料理を出す前にわかるはずです、それでもワインを飲まないとちょうど良く味わえない料理を作る、お客さんから満足できないと指摘されてもワインを飲むのが当たり前と非を認めない、この方二重三重に間違っていると私は思うのですが、接客の方とコミュニケーションがとれていないのも露呈しています、高いお店ならばそれくらいは洗練されていてほしいものです。

私が他店で食事をしていて感じるのは、たまに残念なことにそれ以前のレベルで、適度に塩味をつける努力がまず感じられない。苦情の出ない味付けということがあります。人は自分がちょうどいいと感じる加減より少しでも強く塩が効いていると不快に感じるものです。逆に大分感覚より下回っていても何かパンチがないなくらいでたいていは苦情を言うことはしません。
有名店だったりするとなおさらですね。こういうものかと諦めてしまい、おいしいと感じられないことを逆に残念に思う、まさかそんな有名店でいい加減な調理がされているとは誰も思わないでしょうから。
その怠慢が上品なとか優しいと評価されていると作り手さんはそのまま自らも納得しないような味付けを続ける、童話の裸の王様を地でいっています。
塩加減はとても大切な要素だと思います。どんなに素晴らしい旨みがあっても塩がないと本当にはその良さはわかりません、旨みを引き出すのは塩と言って過言ではないでしょう。旨みの弱いミネストローネなどの塩加減をしているとそれがよくわかります。徐々に足していくともやもやと分かり難かったものが突如すっきりと隅々まで鮮明に理解することができるようになります、一人前で0,7gくらいでしょうか0.1g以下の量が明暗を分けます。
先日私は都内のある有名店で食事をしたのですが正直残念なものでした、本当に誰もが知る有名な店でそのシェフの堅実で良心的なイメージは私には知らずとも信頼の置けると言えるようなものがあったのですが、残念なことに、実際にはあまり細部まで検討されていない、店舗としてなのかもしれません、私には残念な内容でした。塩加減を明かに低めに設定していながら塩が客席に用意されていないことも残念なことですがとても不思議だったのはチーズの料理、前菜でしたがそれと魚介のこれも前菜で、これらに使われているソースが同じものでした。おそらく玉葱がベースでオイルとヴィネガーを乳化させたよくありそうなソースです。ある程度の値段をとる食を楽しむ雰囲気を持たせた店としてこれは残念なことです。どちらの料理にも色々なソースのバリエーションが可能と思います、同じテーブルに出る違う料理に同じソースを使うということはそのソースを過信しているのかお客さんを馬鹿にしていると思われても仕方ないと思います。その店舗はその方は名前を貸しただけなのかもしれません。事情のあることかもしれませんが、それを実際客として体験してある程度の判断のできる者として残念に思いました。
前から私が感じていたことは益々現実味を帯びて感じられるようになってきました。
洋食、専門料理の作り手さん達はお客さんを軽く見る傾向があると私は思います。
海外での修行時代、劣等感を感じていたのでしょうか、それがいつの間にかお客さんに向けらているのか?私には理解できません、残念なことです。


Posted by lafreccia at 01:16:41 | from category: 調理 | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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