November 15, 2006

プリミティーボ

イタリアの方は自分の地元、住む土地をとても大切に考えます。それ故にその土地のものを紹介する際、そもそもその物に名前を与える時点から対外的にしっかり形を作って表現、表明しています。プリミティーボという名前の(品種名でもあります。)ワインがありますが、これはおそらく土地の方が(プーリア州など南の各州)その品種のワインをプロデュースする際もうすでにアメリカでジンファンデルの成功があったのでしょう、その原種がこのプリミティーボ(プリミティブ)なんだよという意味合いを込めたイタリアの方らしい命名のようです、考えてみるとその原種にプリミティブと命名されているのはおかしいですよね、言語の起源の話ではないのですから、元々そういう名前ならすごい偶然です。
パスタ料理カルボナーラの名前が付けられたのは世界大戦以降のごく近年のことですが、それにも拘わらず伝統料理然とした命名です。炭焼き職人風、似たような職業を元にした料理名は様々にあります。カチャトラは山の猟師、ペスカトーラは海の漁師、ボスカイォーロは木こり風だそうです。それぞれに必然的な相応しい内容があるものですが、カルボナーラはちょっと分かりにくい、きっと視覚的な要素、炭とブラックペッパーを掛けているのではないしょうか、炭焼き職人さんに特に関連した素材であったり、そういう方が好んで食べたというわけではないでしょうから、これは命名した方が伝統料理風に名前をアレンジしたものなのだと思われます。
それにしても響きのいい人気の出そうな名前です。

テレビでイタリアのものというと私はつい観てしまいます、土地の方に自由に話をさせていると家族の自慢話から始まりその土地がどれほど良い場所なのかを表現してそれは永遠に続きそうな勢いです。本当に愛して止まないそんな雰囲気が明確にあります。それとは逆にいや、だからこそなのでしょうか、
そんなイタリアの人たちは他者への感心も同時に強く持っています。
特に地方へいくほどそれは顕著にあります。
私事の旅行談ですがカンパーニャナポリの外れで道に迷い地図を広げていたのですがその辺り中から人が集まってきました、講釈が始まり挙句に地図は取上げられあぁでもこうでもない。そこの人達は公共の場所でそこにいる他の人達へとても強い関心を持っています。
日本ではこれはないことですよね、尋ねて教えてもらうのが自然なことと思います、外国人だったりすると逃げてしまったり。
公共の場所で他人に感心をもつことは愚かしいそんな風潮が日本にはあると思います。
公共の場所、他人と関わらずにはいられない場所、そんなところで他人に関心を持たない、持っていない体裁をとる、他人を無視する文化。

子供は社会の鑑と昔から言われることですが、子供がいじめをするのは大人がしているからでしょう、大人達にはそれは普通のことで気が付けないというだけで何も子供のことは不思議なことではありません、最近パワハラという日本固有の言葉が注目されているようですが、実はこれが本題で子供のいじめは反響に過ぎないのではないでしょうか、嫌がらせをすることで自らの目的を遂げようとする、話し合いでも指導でもなく嫌がらせをすることによって相手の譲歩を引き出そうとする、そういう愚かな人はたくさんいますね、何も生まず、実質的に成果を上げることはなく、興味があるのは常に自分の利益だけ、仕事の面白さ、作り上げる、創造することの面白さを理解することはない。
可哀そうな人達ですがとても有害でもあります。
こういう人とは関わりたくないものです、しかし実際にはそうもいきません。
とても不思議なことです、目の前に当たり前に面白いこと(仕事)があるのにそうでない、本来協力するべき仲間に嫌がらせをして満足する、いったい彼らは何をしたいのでしょうか?私が独立したのはこのようなことから完全に離れた環境をつくりあげられないか試す事も考えてのものでした。
当然ラ・フレッチャではパワハラのようなことはしませんし、あったら許しません。
もちろん、いい年をして責任を自覚できない人や権利だけ主張する我侭な人を弁護するつもりはさらさらありませんが、うちの店では話し合いが基本です、堂々と言えることは言えばいいし、責任を抱えたなら権利を主張すればいい、これ当たり前のことです。このようなことが隅々まであって生きていける環境がいいと思います。でもそれは現実にはなかなか難しいことのようです。
得た権益は決して手放さず出来る限り利用して、それを指摘されても図々しくも決してそれを認めない、権益を得た人と責任を持つ人は別なのが現実のようです。
そんな社会に健全な子供があることを望むのが間違いなのでしょう、それは必然のようです。全体像がそのように見えるので個々にそれを克服しようとしても大変難しいことになってしまいます。子供のいじめのことは大人がちゃんと成熟した大人の社会をつくらないと解決しないことなのではないでしょうか?



Posted by lafreccia at 10:02:41 | from category: 文化イタリア日本 | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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