May 07, 2007

インディペンデンツ

私が父に最後に会ったのは中学生の頃です。残念なことにその時のことはあまり記憶には残っていません、当時大学生だった兄が空港まで送っていったそうです。事業に失敗し金策のためか家を空けることが多くなり、そして遂にその日以来戻ることはありませんでした。私は元来明るい性格なのか、抵当に取られていた家から引っ越して市内でもだいぶ離れた土地にアパートを借りて引っ越すときもそんなに悲観してはいませんでした。その頃から芽生え始めた独立という心情、生きるために学び、鍛え、考える。引っ越した先で入学した高校時代は主に飲食業でアルバイトにいそしんでいました。もちろん校則では禁じられていましたが生きるためです、校則など知ったことではありません。何かを盗んだりすることとは違います。誰にも迷惑はかけない。と格好をつけても稼いだ大半は遊ぶために使ってしまいました。とにかくよく考える子供でした。簡単に解ける方法は避けてその問題自体を理解できるまでとことん考える。高校で初めて出会った物理学という学問は私の庭でした。就職組でしたから?までしかしていませんが、とても合っていました。あるテストで教師が冗談で出した問題、を解いていて私の答えは迷うことなく「存在しない」でした、しかしその問題は表の中のどの点か?という問いで、それでも他に書きようがなく「存在しない」と書いて答案を提出すると、後日その教師が言うには「君達に解けない問題を考えてもらってもっと大切なことに注意を向けて欲しかった」だいたいこんなことを言っていたと思います。「あぁ心配しないでこれは点数には関係ないから」ちょっとちょっと!正解書いてるんですけど、無造作に付けられていたバツを訂正してもらいに行きました。正解ですよねって、先生はそうだねってだいぶ白けていました。その先生を実は結構尊敬していました。とても面白い、機知に富んだ好きな先生でした。佐藤雄三さんという方で。授業のほとんどが脱線で、毎回楽しみにしていました。私が北海道からは失踪しているようなものですから、音信不通になってしまい、今でもお元気でいるといいのですが。
その高校から就職したのが皮革業界のある中小企業、
そう大学へは自らの選択で行きませんでした、その理由は「必要ないから」です。それはその当時から私の心情が生きるためという、今思うと悲痛な動機に捉われていたことを物語っています。今私がそのくらいの年齢の方にアドバイスできるなら「もっと楽しめ!」ですね、今思うに人生は全て自分のものであって、ある期間を他のある期間を充実して過ごすために充てるということはない、してはいけないと思います。その感覚に無責任さが巣食うのだと思います。現在を疑いなく堂々と生きる、結果は必ずついてきます、自分のことには全ての期間、全ての思いについて、責任を持つべきだと思います。


Posted by lafreccia at 02:03:58 | from category: 私事 | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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